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一を聞いて虚数解

枠の外の話

バカと炎上とインターネット

「うちらの世界」から始まる悪ふざけ→炎上ってのが話題で、それに冷水かけたり論じたりしてるけど、そういう事例って当然その「うちらの世界」の元ネタで対象になったような人たちだけでなく、インターネットでは昔からそれこそ自分の知ってる「INSとかモデム」のインターネット時代からあることで、その頃は「インターネットやってる」だけで一つの「世界」のくくりだった。

Twitter始まった時もそのユーザーってだけで一つのくくりだったし、国内のFacebookの隆起の時もそんな感じだったとも思う。(いわゆるアーリーアダプターってやつか)って考えると「うちらの世界」→「○○クラスタ」みたいなもんだと思うと、誰でもそういう世界作ってるのでは無いかと思う。

もっと前で言えば「2ちゃんねらー」もその類だろうし(いろいろやってきた実績込みで)その前身の掲示板類も、さらに言えばインターネットの前身のパソコン通信とかもその類だろうなって。「世界」を形成して武勇伝的な行為をやってきてるということに関しては。可視化される範囲というか「その世界の外から、世界の中の出来事が可視化できるまでの(心理的、設備的)ハードルが下がってる」ってだけなんだと思う。

問題は「その外側への関心と認識」という点に関してだけど、それに関しても「特定能力」と「時間」と「ハードルが下がったことによる物量」の差で特定とか晒しとかが早くなったけど、そういうことをやってる人たちの認識が薄いというのは変わってないと思う(薄いものが更に薄くなってるのか、薄かった人が「黒歴史」的に反省して、特定する側、講釈たれる側に転身してるかの差はあれど)単純に『インターネット触りながら』そういう『「世界」をつくりつつ』『うまくやってる人』っていうふうに、徐々に絞り込みが進んで半面、Twitterとかの敷居が下がってきてるので晒す側に立つ母数(この母数の中から炎上しちゃう側も含まれてるのは言うまでもない)が増えてる。ってなればそうなる。

むしろ、そういう燃えちゃう人にとっては「知らんところから、「世界」の中の人は知らなそうな武勇伝ネタが勝手に転がってくる」わけだし。興味には勝てないというのはある意味人間らしさ。なのかもしれないけど。歴史は繰り返す。むしろインターネットが出来て20年?Twitterとかできて10年経ってないのにいきなり人類が急激な速度で進化するわけ無い。

そんなところでいいんじゃないんでしょうか。
小さな炎上で『コラッ』してくれる人が近くにいることが求められるのではないかという今日この頃。