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一を聞いて虚数解

枠の外の話

ここは退屈迎えに来て

book 読んだメモ

Kindleの日替わりセールに出てたので角川セールの合間を縫って買ってみた。

ここは退屈迎えに来て

ここは退屈迎えに来て

率直にいうとこの本は「ズルい」

基本的に「一般人」を描いたストーリーって、ズルい。読んでる側の多くは一般人で自己投影がし易いからである。その権化というか象徴的な本だなぁと思った。(べつに悪いと言ってるわけではなく)

内容は「ある街のある時期のある人達の、今の暮らしと昔とのギャップと心境」というような。ストーリがありそうでなさそうで、連続性がありそうでなさそうでという短編集。「地方都市」「10~20~30前の年齢」「漠然とした今への不安」「学生とその後のギャップ」「友人と関係の変化へのとまどい」とかどれもでなくて、どれかに引っかかればある程度自己投影出来そうな部分が散りばめられてるのが特徴的というか。その幅があまりにも広いので、ズルい。

その辺の自己投影をよりしやすくするための「自己投影先とは対照的なキャラ」がいるのでなおズルい。対照的な奴に関しては、対照的というだけあってよくわからないので、対照的とは言うけどある程度抽象的なのが許されちゃうし。陰に対する光と認識させるだけでいいんだし。うん、ズルい。

それでも内容に共感できるかどうかは人それぞれなんで、いかんともしがたいけど、やや後ろめたさに近い自己投影がどこかで出来て、それが「共感のように思える」という辺りの作りだったりするのが、ズルい。「後ろめたさ」とか「不安」とか「現住所」とか「年齢」的には引っかかる要素の多い自分ですが、これは「共感」なのかって言われるとなんか違う。けどなんかその人物の後ろめたさはやっぱり自分に置き換えられてしまうタイミングで終わるのでズルい。

そんな共感と投影の間をごちゃ混ぜにしてしまう「ズルい」小説。
そのごちゃ混ぜにしてしまうだけの読んでる人との間に投影するのに邪魔にある壁を作らない「空気的な」ストーリーと文調はいいなぁと思いました。ところどころ生活要素にせよ場所にせよ「ロードサイド的要素」は出てくるけど、実際は自分というか人物だけの話という作りはなかはかしづらい。



以下、感想というか余談。

これだけ自己投影してしまう要素の塊のなかで「いつかこの本に自己投影しなくなる日はやってくるのか」というのがあるんだけど、なんとなくそんな日は来るのではないかと思ったり。(満たされるような生き方に変わる。というのがなかったとしても)

ロードサイドロードサイド言いますが、ここまで道路整備がしっかりしてて、かつ国土が狭く、流通がしっかりしてる国だし、ロードサイドの権化とされてるショッピングモールの最大級の店舗が出来てるのが関東圏でなく明らかに「東京」を狙ったものでもあるという2014年(幕張のイオンモールとかが正月の在京局のCM・番組を賑わしてるんですしおすし)

ちょっと前なら「地方とロードサイドは違う」って言えたかもしれないけど、現状を見るとそんなことはなく、ロードサイドはそれこそ道路沿いに今も広がってる。反対にそこにカバーされない様な地方はドンドン若い人が、都会との対立軸を持つという思想を持った人がいなくなっていく。

反対に都市部はオフィスや商店が超高層ビルに集約されたりして敷地面積的には集約されて、反対に住宅は高層化しつつその合間に広まっていく。そうやって高密度になった合間にモールとかロードサイド的建物が増えて、都市部もだんだんその流れが広まってる。

要はどんどんロードサイドは増えるし、対立軸を作ったはずの都会はどんどんなくなっていくように思えて、大都市圏の環境の優位性はあれど、実態は近づきつつあって、ココらへんに対立軸を作ったり見出したりするのがだんだんバカらしくなってくる気がする。その分の影響かインターネッツでの対立が激化というか裾野が広くなったなぁと感じることはありますが。

いつかそんな日が来た時には、この本を「こんな時代もあったなぁ」と今でいうバブル期みたいな扱いで取り上げられる日は来るのかも。その前に「今を今として」ちょっと間を置いて見るために読んでみるのは面白いのかなと。(この今すら一年前の文なので今なのかすら怪しいこのご時世ですが)