一を聞いて虚数解

枠の外の話

まあ、別にこの話がなんか別の話題につながる訳ではないのであしからず。

何となくこれを読んで真っ先に思い浮かんだのがラジオだったりする俺。
あんたジャージでどこ行くの: 最近のシンセはダメだという話
まあ、正直音楽だの楽器だの話はまるでダメなんですが、自分の好きなことに置き換えると非常に面白いなと思えます。

個人的には「道具は機能と引き替えに制約を受けるもの」という漠然とした考えがあります。例えば、ラジオとテレビ。ラジオに比べテレビは「映像を流す」事で様々な表現ができる変わりに、「聴くだけ」のラジオに比べ「聴いて・見る」事が必要な訳で、「機能の引き替えとしての制約」があります。

ただ、表現できる幅があるからといって面白さで「テレビ>ラジオ」かというと必ずしもそうではない。ラジオの方が面白いという場合だってあります。聞き手側が「音声しかない」事が逆に、喋ることに特化した事によって出てくる表現、雰囲気、間といった本来の内容を超えたものを楽しむという、参照したblogで言うところの「限界を超える新しい使い方」って言うのがあるからだと思います。(ここら辺は2chとかでの「実況」にも通ずるところがあるのかも)

他にも「音声しかない」事を逆手にとって「テレビが見られない状況でも聴く事はできる」というような「制約がないことを活かす」事もしています。

反対に表現の幅が広いテレビはその機能のために、過剰表現や(スポーツ実況とかでよくある)しゃべりの表現力不足を感じる時とかがあることでかえって「限界を感じてしまう」ということも間々あります。しかも「ながら」でも聴いていられるラジオと違って「視聴すること」に全てを取られてしまうわけだし。

なんとなくこの中の音楽機材にもそう言った「機能と引き替えでの制約」があって、それが「作り手」とりわけ作ることを「楽しみ」としてる人には邪魔な時があるのかなという感じ。

そう考えると、この「簡単に使いこなせて、すぐに限界がくる」ようなものほど素晴らしいってのは合点がいきますし、そうでないテレビが最近は煩雑化して面白くなくなってることを考えると、デメリットの方が大きいのかなと。(まあ、テレビとラジオの場合は別メディアだからテレビの悪影響が即ラジオにつながる訳じゃないんだけどね)

そんな思いつき。